鮎川誠、ただただカッコよかった〜 [シネマ]
ここんとこほぼ映画のネタばかり、と言っても、ほとんどロック系だけれど
ライブ・エピック25に続き、「シーナ&ロケッツ 鮎川誠 〜ロックと家族の絆〜」に
見る前は、サブタイトルにある家族との話がメインだとダレるかな、と心配したけれど、それこそが鮎川誠を知る上でとても重要な要素で、むしろそれをストーリーの中心にすることで、すんごくいい映画になってました
鮎川誠という人は、生き方にウソやごまかしがなく、自然体でクレバー、そして最後までピュアな精神の持ち主だったのが、すごく伝わる なかなかこんな人間にはなれない
久留米のアマチュア時代から亡くなる前の姿まで、ただただもうカッコいいとしか言いようがなかった
自分は、YMO経由で、細野さんプロデュースの「真空パック」を高校時代に買ったのが、シナロケとの最初の出会いでした
当時から、このアルバムのテクノポップ寄りの音楽は、元サンハウスのザ・ブルーズ・ギタリスト鮎川誠の本質じゃない、との評価も多かったように思うけど、自分はラモーンズとYMOが合体した感じ(それか、ブライアン・イーノがプロデュースしたDEVOのアルバムに近い空気感、というか)、気に入ってた
ただ、その後のシーナ産休時のシーナ抜きザ・ロケッツの硬派な感じがやっぱりもっとカッコよく、当時日比谷野音でのライブにはるばる新潟から見に行ったっけ(記憶はほとんど失われているけれど・・・)
そして、シーナ&ザ・ロケッツ本体のライブは、見る機会はこれまでいっぱいあったのに、結局一度も見ないでしまったのを、この映画を見た今になってとても後悔しています
お二人とも安らかに
epicレーベル45周年、のLive EPIC 25 [シネマ]
20年前の1993年に、EPICソニー25周年を記念して組まれたEPIC所属アーチストのライブツアー「Live EPIC 25」の最終公演を記録した映像を、20年後の45周年プロジェクトとして設立日8月21日に一夜限りの上映
20年前にこんなライブがあったなんて、記憶にないんだけど・・・
自分の音楽的嗜好性からして絶対行くはずなんだけれど、チケット取れなかったのか、他に外せない用事があったのか、う〜んやっぱり記憶にない
というわけで、20年たっての初体験、させていただきました
epicの邦楽といえば、やっぱり80年代を象徴する音楽
自分にとって、まるまる大学生時代、そして社会人成り立ての時代なので、80年代の音楽は自分史の中でも最も体に染み込んでいるように思う
特に個人史的には1986年
大学生のモラトリアムという特権がなくなり、荒波に漕ぎ出た社会人としての1年生の年、しかも訳あってその1年限りで転職したので、今に至る社会人時代との連続性がないこともあり、その1年間の記憶は他のどの年よりも濃厚に残ってるのであった
というわけで、1986年4月〜1987年3月にリリースされていたバービーボーイズの「負けるもんか(オリコン47位)」、TMネットワークの「Self Control(オリコン33位、もっとヒットしたようなイメージあるけどまだその程度の認知度だったんだね)」、そして渡辺美里の「My Revolution(もちろんオリコン1位)」の3曲が、その1年間の記憶と密接に結びついていて、アーチストの好き嫌いを超えてズキュンと胸に刺さったのでした
(そんな個人的事情を抜きにすれば、最もカッコ良かったのは大沢誉志幸とMODSでしたが)
ロング・プロミスト・ロード(約束の旅路) [シネマ]
よかった
悪いわけないさね
第三者的視点で描いた客観的ドキュメンタリーではなく、今現在のブライアンへのインタビューをベースに彼のたどった歴史を描いているので、信頼度も高し
ブライアンが弟デニスの唯一の名盤、1977年リリースの「パシフィック・オーシャン・ブルー」をこの映画のインタビューのときまで「聞いたことない」と言ったのがめちゃくちゃ意外だったし、仲のいい兄弟なのにそんな薄情な、ってちょっと思ったものの、ま、それも彼らしいな、と
で、その後に初めてデニスのアルバムをパソコンで聞いてすごく気に入ってる彼も、また彼らしかったな
他のエピソードでは、かなり前の彼の家でのインタビュー時にブライアンが急に席を外してしばらく戻ってこず、家の中を探したら冷蔵庫の中に隠れていた・・・その理由が、インタビュー時にある曲が聞こえてきて、その曲が怖くて隠れていたんだけど、その彼を怖がらせた曲にめちゃくちゃ笑えました(彼にとっては笑い事ではないんでしょうが)
余談ですが、日本人(キリスト教徒の方々は別として)には、アメリカでは頻繁に使われる「プロミスト(約束の、約束された)」って単語の持っている真のニュアンスが理解できていないんですよね・・・
これまでの長い間、いろんなこと(楽しかったことも不幸なことも)があったけれど、向かうべき方向に向かって生きている、というニュアンスなのかな?
下のトレイラーはゲスト・コメンテーターの映像で構成されているけれど、もちろんこれらが映画のメインではなく、ブライアン本人へのインタビューと当時と現在の彼の映像こそがこの映画のすべてですからご安心を
シン・ウルトラマン見たよ [シネマ]
確かに、シン・ゴジラを映画館で見たときとくらべれば、やや消化不良(ダイジェスト版を見た気分、的)な気持ちは否めないけれど、「出てきてから倒すまで」のひとつの流れのストーリーで済むゴジラと、いろんな怪獣(禍威獣)やら宇宙人(外星人)やらと戦うストーリーの一部をつまんでひとつのストーリーに仕立てなきゃいけないウルトラマンとでは、同じ土俵で評するのは厳しいと思うよね
ただね、でっかいスクリーンで「自分が子供の頃に見ていたあの」ウルトラマンをこの目で見たのだから、自分は楽しめました
昔の科特隊やウルトラ警備隊等々は、部屋一面が機器やらコンピューターやらで埋め尽くされた作戦室で仕事してたけれど、現代の禍特対は一人1台のノートパソコンで、ごく普通の事務所で仕事できるってのが、何気に歴史を感じさせられたり
タグ:庵野秀明
ローレル・キャニオン見てきたよ [シネマ]
最初は「スージーQ」見に行こうと思ってた
自分が高2のときの初体験(初めてのライブ・コンサート)が彼女だったので
でも諸般の事情により「ローレル・キャニオン」を見に行くことにしました
自分はかれこれロック歴40数年、英米ロックの歴史はほぼほぼ身体にインプットされていると思ってたけど、「ローレル・キャニオン」というワード(地名ですが)を聞いたのは、今回が初めて
なんでこんな重要なキーワードを日本の音楽ジャーナリストはこれまで語ってこなかったのか?
ジョージの「ブルー・ジェイ・ウェイ」ってローレル・キャニオンにある通りの名前なんて、日本の音楽ジャーナリストの誰か過去に一言でも発したことがあるのか?(これは映画の後の健太・能地夫婦のトーク・ショーで教えていただきました)
前から薄々思ってはいたけれど、つくづく自分は若い頃にロキ◯ン、し◯や編集長に洗脳されていたんだなぁ、と(もっとも当時の日本では他のメディア、ジャーナリストも五十歩百歩だったんでしょうけど)
それはさておき
この歴史の中心に位置するザ・バーズにしろCSN&Yにしろ、もちろんメンバーの音楽的才能に非の打ちどころはないけれど、ただただピュアに音楽を追求していたというわけでもなく、結構みなさん(RマッギンとかSスティルスとかGフライとか)山っ気マンマンだったんだ
だからこそ商業的にも成功できたわけではあるけれどね
そんな中で、唯一若い頃から純粋に音楽(芸術)を追求していたジョニ・ミッチェルの存在が、やはりこの映画でも神々しかった
同じ理想を求める人が自然に集まり、それぞれの才能がクロスして文化が花開き、しかしそれぞれの成長につれて当初一つに見えた「理想」は個に収斂してバラバラになっていき、残った「文化」だけが商業主義に飲み込まれていく、という、普遍的かつ教訓的なドキュメンタリーでした
タグ:萩原健太
アメリカン・ユートピア見たよ [シネマ]
ようやく見てきました
前評判どおり、演出、パフォーマンス、曲、演奏、メッセージ、すべてにおいて素晴らしかった
かなり直接的な政治的メッセージ&政治的メッセージが込められた曲があったのはちょっと意外だったけれど、今の時代はそれくらいしないと(特にアメリカでは)伝わらないってこともあるのかもしれないね
日本人にとっては、こうして字幕付きで曲を聴くと、彼の曲ってすべて人間と人間の関係性や人間と社会の関係性を描いてることにあらためて気づかされる
一生に一度だけ、じゃなく、何度も見たいパフォーマンスでした
今は無理だけれど、日本でもやってくれないですかね
シン・エヴァ見たよ [シネマ]
これまでの3作で一番好きな場面が、綾波レイに感情が芽生えて、お味噌汁作る練習して、碇親子を招待してお食事会を開こうとするところ
シン・エヴァで何より好きな場面も、ジブリ(トトロ?)っぽい日常で綾波レイ(仮)に再び感情が芽生えて、近所のおばちゃんたちと田植えして、委員長の赤ちゃんをあやすところ
やっぱ自分にとってエヴァの中心は綾波なのか…
TVシリーズを大事にしたい派としては、最後シンジとくっついているのはアスカであってほしかったかも
エンディングで流れる宇多田ヒカルのBeautiful World、心地よい余韻にひたれました
打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? [シネマ]
昨日の地上波でアニメやってた
シナリオは25年前のオリジナル映画を踏襲、胸キュンキュンさせられた
この映画は男子にとっての永遠の真実を描いている映画だと思う
その1:女の子はいつだって気づかないうちに男子より大人になっている
その2:男子は友情と恋愛のどっちも犠牲にできない、けどやっぱ恋愛の方を取っちゃう
その3:夏休みは大人の階段
オリジナル映画の奥菜恵(当時15歳くらい?)って、天使で女神で、そして娼婦の全てをかねそろえてた
このときの彼女は自分にとっての究極のfemme fatale
ありがと、JR東日本・・・の巻 [シネマ]
毎朝の憂鬱な通勤時と、ぐったり疲れた帰宅時に、清野菜名ちゃんに駅で癒されてます〜
ふと横を見ると・・・
と、と、知世ちゃん?今はいつ?ついにバブルが戻ってきた?
あの頃はリフト待ちに1時間とかさ、ゴンドラ乗るために前日に整理券もらうとかさ、それはそれで楽しい思い出
当時は携帯電話存在していなかったので、この映画の影響でトランシーバー買ったし
みんな「内足持ち上げるクセ」直したし
写真撮るときは「とりあえず〜(パシャ)」だったし
スキー場では、女の子はワンピースのウェア着りゃ後姿はみんな知世ちゃん、ゴーグルつけりゃ男はみんな三上博史だったし
タグ:私をスキーに連れてって 原田知世